Thursday, May 11, 2006

英語教育

今、小学校における英語の授業必修化が問われている。
ところで、フィリピンのこども達は我々より英語が上手い。それはフィリピンは小学校から英語を学んでいるからである。ならば日本も同じようにすればよいのか?
単純に比べてはならない。英語が国際語である事はだれもが認めるように、残念ながら言語には優劣がある。(この表現は不適かもしれないが)
けどそうだろう、外国語の出来ない日本人が英語や西語、中国語を勉強することはあっても、シャンガーナ語、ズールー語、コサ語、ジウラ語、バンバラ語等(いずれも中南アフリカ各民族語)を積極的に学んでそれで世界を羽ばたこうと考える人はまずいない(よね?)。ガーナの秘境で現地人と暮らしたいとかなら話は別だよ。
それと同じように、日本語とタガログ語は同等の地位ではない。日本は世界有数の経済大国であって、海外でも日本語を学ぶ人は多くいる。
日本とフィリピンにはもう一つ大きな違いがある。
タガログ語は通常、アルファベット(わずか26文字)で表記するが、日本語はご存知のよう膨大な数の漢字がある。小学校の間は徹底的に漢字の学習を行い、そこに日本語学習の大半の時間をようする。そう、われわれ日本人は、国語学習に他国以上に莫大な時間を費やしているのである。
さて、フィリピンには多くの研究施設(大学)は無い。その為、より専門的な勉強をしようと思えば、外国に行かねば勉強が出来ない。とうぜん外国の大学では英語などの外国語で講義がされる。だから英語が出来なければ勉強が出来ない。
けど、日本には多くの大学があり、日本語で講義が聴ける。外国に行かなくても日本で多くの事を学ぶことが出来る。つまり英語が出来なくても勉強が出来る環境がある。
そう、だから、外国がしているから日本もなんて、簡単な考えでは上手くいかないという事。文部科学省はこの事をどの程度認識しているのだろうか?
それ以上におかしな事がある。
今、上で私は日本には多くの大学があり、日本語で専門的な講義を受け勉強できると述べた。これに異論のある人はいるだろうか?勿論、米国などに比べ劣る面もあるだろうが、しかし、日本の大学は充分に設備が整っているといえよう。
英語が出来なくても日本の大学で勉強が出来る。
つまり、日本の大学で学ぶに置いて英語は必要とされない。
なのにどうして大学入試に英語が課されるのか?そして受験生は英語学習に大きな時間を強いている。そして英語の出切る出来ないで合否が決まる。だがしかし、大学の授業はほとんどが日本語で講義され、教養科目の英語や卒業研究で英語の論文を読むことはあっても、それ以外は英語を必要とはしない(英文科を除いて)。
英語の話せる日本人を育てるのならば、大学入試で英語を廃止することが必要だろう。

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