Wednesday, May 24, 2006

教育勅語を知ろう

「教育勅語いいところもあった」
森喜朗前首相がこう発言し一時期話題となった。

教育勅語の中に十二の徳目というのがある。それは

孝行(こうこう)
親に孝養をつくしましょう

友愛(ゆうあい)
兄弟・姉妹は仲良くしましょう

夫婦(ふうふ)ノ(の)和(わ)
夫婦はいつも仲むつまじくしましょう

朋友(ほうゆう)ノ(の)信(しん)
友だちはお互いに信じあって付き合いましょう

謙遜(けんそん)
自分の言動をつつしみましょう

博愛(はくあい)
広く全ての人に愛の手をさしのべましょう

修学(しゅうがく)習業(しゅうぎょう)
勉学に励み職業を身につけましょう

智能(ちのう)啓発(けいはつ)
知識を養い才能を伸ばしましょう

徳器(とくき)成就(じょうじゅ)
人格の向上につとめましょう

公益(こうえき)世務(せいむ)
広く世の人々や社会のためになる仕事に励みましょう

遵法(じゅんぽう)
法律や規則を守り社会の秩序に従いましょう

義勇(ぎゆう)
正しい勇気をもって国のため真心を尽くしましょう

この12の項目。どこが問題なのだろうか?どれもこれも大切な事ではないだろうか?今日でもこれらの行いをすれば誉められる事が多いだろう。
では、どこに問題があるのか?
例えば、孝行と公益世務を同時に行うことは可能だろうか?
今日でもアフリカには貧しい人々が多くいる。アフリカに行き人々を助ける事は立派な事だと思う。同時にまた年老いた両親を看病するのもまた立派な事ではないか?では、年老いた両親をアフリカに連れて行くことは可能だろうか?
そこで、自分はアフリカを救うべきか、両親の看病をするか。
残念ながら同時進行は不可能だ。こうして、心の葛藤が起こる。そして教育勅語にはその答えは載っていない。
教育勅語はあくまで、考えさせる為の題材であり、手段である。
そして、それは今日、文部科学省から全国の小中学生に道徳の教材として配布されている『こころのノート』に引き継がれているとも言えるだろう。
教育勅語は悪くは無い。けど、それらは学校で敢えて教える必要があるのか。
幸いにも今日の小学生は忙しい。
これら『こころのノート』は学校保管され、年に数回しか活用されること無く、その後、各家庭で捨てられている。文部科学省はこの実態を知り、7億とも10億ともいわれる、これらに費やす税金の別の使い道を考えてもらいたい。
10億あれば何が出来るだろう?
先日のインドネシア地震で、日本政府は11億円の援助を決めたそうだ。

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